結婚願望という名のエゴイズム
結婚願望を抱くものは例外なくその全てがどうしようもないまでのエゴイズムを他人の人生に突き立てる存在である事を自覚すべきである、もちろん結婚願望を抱くことすらしない人生の負け犬だろうともその他の欲望、渇望、切望で様々な欲望をその胸に乱舞無双しているので割合的に言ってみれば結局お互いになんの代わりもない皆エゴイストではないかと、そんな結論に至る訳だが、しかしソレでもそのエゴにまみれたエゴイズム渦巻く混沌の混乱の中において結婚願望をその胸に宿す者は誰も彼もがどうしようもないまでのエゴイストであるといわざるを得ない、『俺のために毎朝一杯の味噌汁を作ってくれ』そんな一言で貴方の人生には今までになかた巨大な自身がクリティカルヒットするのだからただの味噌汁一杯でもなんと罪深いことだろうか。
結婚者、運命を切り開くもの
そもそも結婚などという事実に到達せしめるに値するだけの因果関係について深く考察と観察をしてみるに、まず結婚という関係を結ぶ儀式が成立するためには最低でも二人の雌雄(場合によっては同性別の個体同士でも構わないができれば別々の個体の方が狭くそしてどこまでも内向的なジャパニーズスタイルの社会においては何かと角の立つ事が少ないのでオススメだゾ)が必要になり、できればソレを見届ける両名の両親とその家族一同+αの不特定多数の人類が必要になるため結婚をするだけでも作業がイカに面倒で、そしてスケールの大きな事か動くお金のゼロの数を数えるだけでもわかろうと言うものだ。そう考えるとなんと結婚の因果なものか、くわばらくわばらww
結婚にて望む最良の解答例
各々それぞれで結婚に望むものとはまさに多種多様な枝葉を広げるものだが、しかしソレらを突きつめて究極的にカテゴライズしてしまえば実際に出てきているのは『金』もしくは『肉』もしくは『感情』などの3種類程度のコンパクトなものに集約する事ができる(そもそも人類事態がそれほどまでに高度な知能や能力を有している訳ではないので自ずと欲望の種類も限られてくる)のでもしかすると結婚という行為はソレらの欲望を簡易的に得るための代替え用の儀式に過ぎないのかもしれない(何故ならば芸能界を見るまでもなく現在の日本では日々様々な人類のつがいが結婚届けを役所に提出し、それと同時に離婚届けの書類が受理されているのだからソレを考えればいかに結婚がペラ紙一枚のようにショボいモノかよくわかる。)